吉田修一『ひなた』

本書は『JJ』に連載していた「キャラメル・ポップコーン」を改題したもの。『JJ』連載って言うから今までと何が違うのか期待していたのだが、従来通りの吉田修一エッセンスが詰まった作品だった。逆に言えば、彼のスタイルは女性誌の読者にも受け入れられる類のものということだろう。
俺は吉田修一の熱心なファンで、彼の著書は全部読んできた。と言うわけで、過去の著書との共通点などを列挙しながら感想を書いてみよう。
まず、『ひなた』は『パレード』に似ている。章ごとに語り手が変わる点は特にね。
では、吉田修一作品の特徴をざっと挙げてみよう。


1.伏線・仕掛け・ミステリー
作品全体に伏線を張り巡らせ、真実を小出しに明らかにしていくパターンが多い。読者は「ま、まさか○○○なのか」という疑念を常に抱え続け、それが積もり積もって「やっぱ○○○だったかぁ!」と驚く感じ。そういった意味ではちょっとしたミステリーでもある。目次にすら仕掛けが施されている場合もある。『ひなた』でも何度か「ああ!そうだったか!」と思わされた。まあ、それをここで語るような野暮なまねはしねえよ、べらんめい。
2.鍵を握る人物として同性愛者が登場する。
吉田修一作品でゲイの登場しない作品はないのではないか、と言っても過言ではない。『ひなた』にももちろん登場。セクシャリティに関して俺は偏見を持っていないつもり。でも「オカマバーの閻魔ちゃん」やら「水泳部員の○○君」やら、必ず同性愛者が出てくるので、どうしても気になってしまう。『文藝』の吉田修一特集でこのへんを考察した人はいなかった記憶があるので、誰か考えてくれんかな。
3.場所・ブランド名などの固有名詞が頻出
「固有名詞を使うと、数年経てば古びる」。文章指南書や作家のインタビューでよく見かける言葉だ。しかし、吉田修一は固有名詞を用いるのに躊躇しない。
地名に関してはどこかのインタビューで、「地図を見るのが好きで、場所から発想する」と言ってた(うろ覚え)。確かに個々の作品の雰囲気と場所は、密接な関係があるように思う。舞台が大宮であることの必然性(『ランドマーク』)、聖蹟桜ヶ丘であることの必然性(『春、バーニーズで』)、日比谷公園であることの必然性(『パークライフ』)が何となくだが確実に感じられる。まあ、読み直して確認することは今しないが。簡単に言ってしまえば、その場所にどんな人々が集まってくるのか・居住するのかを、吉田修一がしっかりと掴んでいるように思う。都会と田舎という対照的な場所を書き分けるくらいならよくあるのだろうが、首都圏内でこれだけ色分けされているので、「お見事!」と思うのである。『ひなた』では茗荷谷・銀座・千葉が主に登場するのだが、中でも千葉の雰囲気は「こんな家族が絶対いそう」と思わせるものがある。一歩間違えれば「ステレオタイプ」なのだが、そこまで類型的ではない。
4.一人称
一人称が多い。だからこそ、視点人物から見えない部分・視点人物が避けている部分が謎として残っていくのだろう。
5.共同生活
登場人物がルームシェアや居候をしていることが多い。どれも「転がり込んでくる」という表現がピッタリなシチュエーションなのである。彼らは表面的には問題なく生活しているのだが、それぞれがちょっとした秘密を抱え込んでいて、触れれば壊れそうな脆さ・危うさを醸し出している。作品によっては壊れる。でもよく考えてみれば、夫婦だって家族だって何かしら秘密を抱えながら生きてるわけだ。ただ他者との共同生活によって、脆さの度合いが格段に増す。
6.労働
登場人物にブルーカラーが多い。これは著者の経験が反映されているのだろう。
『ひなた』のテーマは、じつは「労働」だと思う。主要登場人物5人を分類してみると

  • 新堂レイ…働く女性
  • 大路尚純…フリーターの男性
  • 大路桂子…働くのをやめた女性
  • 大路浩一…働く男性
  • 田辺…働かない男性

となる。現代人の生き様と不安を、この5人を通して表現しているように思えた。

ひなた

ひなた