坪内祐三『靖国』

イデオロギー的な側面ばかりが強調される靖国神社。坪内氏は、そんな靖国神社や九段界隈の「土地に宿る記憶」を掘り起こそうと試みる。

明治から大正、そして昭和にかけて、「天皇」という、きわめて多面的な意味を持つ「機能」が、ある種の人々によって利用されていくにつれ、靖国神社も、その初期から少なくとも明治末年ぐらいまで持っていた、様々な可能性、空間としての可能性が狭められていったのである。(P.30)

坪内氏は、戦前・戦中の靖国神社が「イデオロギー装置」として、国民を戦争に動員する機能を担っていたことは認めている。しかし、「靖国イデオロギー装置」といった一義的な意味づけに対して違和感を持っていたのだと思われる。「それだけじゃないだろ?靖国って、もっと色々な顔を持っていただろ?」…行間からそんな声が聞こえてくるようだ。
その「顔」の一つに、イベント空間、見世物興行地としての面がある。あの境内でサーカス・競馬・プロレス・相撲といった様々なイベントが催されていたのである。また九段界隈にもパノラマ館や歓工場(百貨店の原型)が建てられ、かなりモダンな場所であった。
余談だが、相撲にまつわるちょっと面白い文章を見つけた。「相撲は武道だ」という主張は、いったい誰が言い出したことなのか、って文章ね。

実際には、相撲を「武道」とする意識ないし主張は、もとよりその根は近世にあったとしても、それがひろくいわれまたうけいれられるようになったのは、近代のことなのではないか。とりわけ、水戸藩の弓術師範の血をひく士族の出身であった明治後期の横綱常陸山谷右衛門が、自身の誇りもあって、積極的に主張したものだったのではないか。彼自身、相撲の世界に身を投じるに際して、一族近親の強い反対にあっている。そうした経験があって、相撲を一段低くみる社会の視線に反発し、相撲を生業としつつも「見世物」興行でないところに「相撲の本質」を求めようとしたのではないだろうか。
新田一郎『相撲の歴史』

あれれ?貴乃花親方に似てませんか?私はこの箇所を読んで、「うぉぉ!こりゃ貴乃花親方そっくりだよ!」と興奮してしまいましたよ。
とまあ、そんな感じで、坪内氏は膨大な資料を駆使して「イベント空間としての靖国神社」「モダーンな九段界隈」という従来顧みられることのなかった面をあぶりだしている。近代史として非常に面白い。
ところで、靖国神社参拝に対する坪内氏の本音はどこなのかな?と読み進めると、最後の最後、文庫版のあとがきにこんな記述があった。ちなみにこのあとがきが書かれたのは、小泉純ちゃんが首相に就任した直後、つまり2001年のことらしい。

小泉新総理に私は提案したい。良い機会だから今こそ、総理大臣の公式参拝を、八月十五日ではなく、春秋の例大祭の時に戻したらどうだろう。公式参拝を批判するメディアには、こう言い返してやればよい。靖国神社には太平洋戦争で命を落とした「御霊」だけではなく、明治維新以来、日本の近代化のために数々の戦いで命を落とした「御霊」がまつられている。私は太平洋戦争の戦死者だけを特権化するつもりはないから、あえて八月十五日ではなく春秋の例大祭公式参拝する。そういう私を批判するあなた方は、日本の近代化そのものをきちんと批判するだけの覚悟はあるのか……と。(P.341)

日本の近代化をどのように捉えるのか、これがポイントになってきそうですな。

続く。

靖国 (新潮文庫)

靖国 (新潮文庫)