靖国神社へ

終戦記念日の今日、靖国神社に行ってきた。小泉首相が参拝するなら是非この目で見たいと思ったからである。まぁ、結局首相は来なかったんだけどね。
靖国神社には過去二度訪れた。最初は2年半前の冬だった。親友と女性を巡ってトラブルになり自暴自棄になった私は、学校をサボって靖国神社に向かった。しかし、門が閉じられていたため本殿を拝むことは出来なかった。このとき初めて、靖国神社の門限は午後5時であることを知った。あまりにもツイてない展開に、私は世の中のあらゆる物が憎く思えた。2度目に訪れたのは、2年前のみどりの日。就職活動の帰りにふらっと立ち寄った。その時は、軽く拝んで帰ってきた。
今回は高橋哲哉坪内祐三の本を読むなど、かなりの下調べを積んできた。そのおかげで大村益次郎像や第一鳥居、第二鳥居、灯明台などを見るたびに興奮した。どのような経緯で作られたのかを詳細に知っているため、同伴した友人にその顛末を語っていた。平日の人の少なさを知っている私から見れば、今日は人手が多くかなりの賑わいだった。特に年配の方や、体格のよい方が目立っていた*1
靖国神社とは如何なる神社であったのか。高橋哲哉氏の『靖国問題』から、それが簡潔に分かる箇所を引用させてもらおう*2

大日本帝国天皇の神社・靖国を特権化し、その祭祀によって軍人軍属の戦死者を「英霊」として顕彰し続けたのは、それによって遺族の不満をなだめ、その不満の矛先が決して国家へと向かうことのないようにすると同時に、何よりも軍人軍属の戦死者に最高の栄誉を付与することによって、「君国のために死すること」を願って彼らに続く兵士たちを調達するためであった。(P.46)

戦前・戦中の靖国神社は、国民を戦争に動員するためのイデオロギー装置*3であった。高橋氏も坪内氏も、靖国神社が戦時中に果たした役割を説明するに当たって、全く同じ文章を引用している。それが以下に示す「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の感涙座談会」である。引用は一部だけね。

森川 あの白い御輿が、靖国神社に入りなはった晩は、ありがとうて、ありがとうてたまりませなんだ。間に合わん子をなあ、こない間にあわしてつかあさってなあ、結構でござります。
村井 天子様のおかげだわな、もったいないことでございます。
中村 みな泣きましたわいな。
高井 よろこび涙だわね、泣くということは、うれしゅうても泣くんだしな。
中村 私らがような者に、陛下に使ってもらえる子を持たしていただいてな、ほんとうにありがたいことでございますわな。
〜略〜
中村 ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思や、さびしくなって仕方がないが、お国のために死んで、天子様にほめていただいていると思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて元気がでますあんばいどすわな。

橋川文三氏はこの座談会を、「私はこれほどにみごとな靖国信仰の表現をあまり読んだことがありません」と評している。
正直に言えば、私はこの座談会を読んで嫌な気分になった。「国家のために死ぬこと」をここまで刷り込んでいた時代に、腹立たしさを覚えた。ある友人にこのことを話した時、「でも、騙されていたことを知らずに死ねたら、その人はすごく幸せだよね」と言われた。その言葉が凄く響いた。故に、私はこの神社やこの時代について簡単に結論付けてはいけないと思った。
ってなわけで、今日は自分の目で確かめるつもりであった。
神門をくぐると、本殿に至る長い行列が伸びていた。この炎天下に行列はカンベンと言うことで、列に加わらなかった。まぁ、つまり参拝はしなかったわけです。それでもちゃっかりおみくじだけは引いてきたわけです。吉だったわけです。
お次は遊就館へ。館内では戦争映画を2本放映していた。私たちは『明治天皇日露戦争』の方を観ることにして、席に着いた。放映開始は正午だったのだが、その前に日本武道館の「戦没者追悼式」の様子がラジオで流され、正午の時報に合わせて黙祷した。続いて「天皇陛下のおことば」も放送された。場内は薄暗かったのだが、私の左斜め前に座る初老の女性が、「おことば」を聞きながら目頭を押さえているのを確認できた。
明治天皇日露戦争』は俳優陣の滑舌の悪さと、「お前らこの程度の歴史くらい当然知ってるだろう」的な説明不足により、話についていけなかった。知ってる俳優も宇津井健丹波哲郎だけだったし。ってなわけで、途中で退席した。
朝食も昼食も取っていなかったことと暑さにより、遊就館の展示物を真剣に見る余裕が全くなかった。まあ、靖国の歴史も15年戦争の歴史も書物で知っとりますからね*4
1階に戦艦大和の主砲の砲弾が展示されていた。私よりもデカイのよ、これが。*5そこで見知らぬ老人に話しかけられた。「当時は航空戦がメインだったから、大和は最強だったのにほとんど出港しなかったんだよ」と言う。私も負けずに「アメリカは空母を作ってたんですもんね」と返す。短いやり取りだったが、世代を越えて戦争を語り合ったという満足感があった。
遊就館を出た後、マスコミが陣取る辺りへ行き、政治家が出てこないかと待ち構えた。しかし、30分も待ってやっと出てきた人物は車にそそくさと乗ってしまったため、誰だか分からなかった。どうやら遊就館でダラダラと展示物を見ている最中、都知事やら小池やらは参拝を済ませてしまったらしい。
喉が渇いていたのだが、境内の自販機は全て売り切れ表示。やることはやりつくしたので、靖国神社を後にした。

*1:これ以上は言わせないで

*2:ここで語りたかったために、『靖国問題』の感想は省かせてもらいました

*3:ルイ・アルチュセール

*4:十五年戦争小史』 by 江口圭一 青木書店

*5:私の身長は186㎝