『東洋的無』久松真一

『東洋的無』久松真一
今回は久松真一の『東洋的無』。私はこの方を存じ上げません。って、毎回のように書いてる…まぁ、よく知ってる人やよく知ってる思想ばかり取り上げられるようなら、逐一チェックしてませんし。以下引用・要約。
久松真一は、西田幾多郎から非常に大きな影響を受けた。『善の研究』を読み西田の講義を聴いただけではなく、西田に寺を紹介してもらったり「抱石庵」という号をもらったりしている。松岡氏は、久松の「東洋無」を5段階に分けて説明している。

第1段階として、欧米に通用している安易自律的な自己を問題にする。久松によれば、西洋における自律性は神にすがった自律か自己の根拠に依拠した自律である。これを久松はできるだけ排そうとした。

そこで第2段階は、「一切なにものにも依らない自己であろうとすること」を目標にする。

第3段階、なにものにも依らないのなら「無」に依るわけだから、ここに「主体的無」のようなものを仮定した。

第4段階で、「無にこそ価値があること」を説いた。無を経験することで、本来の価値が如何なるものかが分かると言うのである。そして第5段階で「無相の自己」(formless self)が現れる。これは以下のような境地らしい。

無そのものが相貌をあらわして、それを自己とみなせる気分に包まれる。

昭和34年久松は、これまでの思想を「FAS禅」とまとめる。「FAS」は次の3文の頭文字である。
To awake to Fomress self
To stand on the sandpoint of All mankind
To create Superhistoribal history
無相の自己に目覚め
全人類の立場に立ち
歴史をこえて歴史を創る
「東洋無」は、無法・無雑・無位・無心・無底・無礙・無動の7つから成り立っている。
大雑把に要約すると、こんな感じです。「禅」にはほとんど興味を示してこなかったので、いまいちピンときませんわ。こんな時は参考文献を検索するに限ります。
禅的生活 (ちくま新書)玄侑宗久
禅とは何か (角川文庫ソフィア)鈴木大拙
禅と日本文化 (岩波新書)(〃)
禅 (ちくま文庫)(〃)
禅とはなにか (講談社学術文庫)(鎌田茂雄)
茶道の哲学 (講談社学術文庫)久松真一