『聖少女』倉橋由美子

『聖少女』倉橋由美子
今回は倉橋由美子の『聖少女』。倉橋由美子の小説も、以前から読もう読もうと思いつつ読んでない。『パルタイ』『スミヤキストQの冒険』『大人のための残酷童話』は読んでおきたいですね。以下、要約を。

この作品はさっきも書いたように、綴られていく情報そのものが擬態を含んでいて、読みおわるまでどの記述や告白ややりとりが“物語内事実”であるかどうか、わからないようになっている。

これはどういうことかと言いますと…
『聖少女』は主人公「ぼく」の記述と、美記という少女のノートが交錯しながら進む小説である。美記は交通事故で頭を負傷していて、「ぼく」は美記のノートに書かれていることが嘘ではないかと疑っている。また最後の方に、この物語全体が「ぼく」の書いた小説であることを匂わせる箇所も出てくる。
こうしたメタフィクションは、倉橋由美子にとっては当然のことのようだ。

この作家は、国家や社会やイデオロギーや恋愛や、そして物語そのものが、そのような「表象としての擬態」でしかないことを見抜いていて、その擬似構造そのものをつかって、むしろそんな擬態にはかかわりなく「愛」や「国」や「物語」の本来を直截に、われわれの魂の隙間に放りこもうとしていた。

つまり我々が触れる国家・社会・イデオロギー・恋愛・物語といったものはフィクションであって、彼女はそのフィクションという構造を利用して、フィクションではない「愛」「国」「物語」などを我々に投げ込んでいるのである。
とにかく彼女の小説を読まないことにはね。