『天皇の戦争責任・再考』
昭和天皇の戦争責任について、小浜逸郎、池田清彦、井崎正敏、橋爪大三郎、小谷野敦、八木秀次、吉田司の7名による論文が収録されている。ただし橋爪氏の論文では日本国の戦争責任しか述べておらず、肝心の昭和天皇の話が全く出てこない。本書は昭和天皇の戦争責任をテーマとしているはずなのに。他の6名が語りづらいテーマに敢えて挑んでいるにもかかわらず、核心部分を避けてしまうとは。何だか裏切られた感じがする。
また、小谷野敦氏は米国ジャパノロジストの観点から、吉田司氏は現天皇と美智子妃の観点から考察している。最初の3篇を読んだ時点で、「おいおい、似たような論文を7篇も読まされるのか」と嫌な予感がしただけに、この2氏の論文はありがたかった。
デリケートな問題だけに、各論者は最初に「戦争責任」の定義、歴史的事実などを提示する。東京裁判は勝者の裁きであり恣意的であること、天皇が免責されたのは占領軍の統治を円滑なものにするためであること、といった前提は、小谷野氏の言葉を借りれば「少し冷静にものを考えたことのある日本人なら誰でも知っていること」である。
ここからは、ちと乱暴に括らせてもらう。
天皇の戦争責任を明治憲法の観点から捉えると、
という立場に割れる。八木氏は後者を主張しているが、小浜氏、池田氏、井崎氏、小谷野氏は例え憲法上の責任がなかったとしても天皇という立場上責任がある、としている。
私が非常に面白く読んだのは吉田氏の文章である。吉田氏は戦後皇室の内幕を「(退位しない)ヒロヒト昭和天皇vsアキヒト皇太子・美智子妃」の心理的暗闘の歴史、と見ている。かつてそのことを雑誌に書いた際、十団体ほどが出版社に押しかけてきたそうだ。