高橋哲哉『戦後責任論』

日本の戦後責任に関して、90年代後半に行われた講演や雑誌論文を集めたもの。ネオナショナリズムに対する批判、とくに加藤典洋敗戦後論』に対する批判がメイン。この『敗戦後論』をめぐる論争は「歴史主体論争」と呼ばれ、かなり熱いものだったらしい。リアルタイムで味わいたかったものだ。『敗戦後論』は読んでいないのだが、内田樹氏の日記の中に「加藤典洋敗戦後論』の文庫版解説書き」とあるので、近々文庫化されるようだ。
高橋氏が批判するポイントは3点。一つは、加藤氏が憲法を占領軍による「押しつけ」として嫌悪する点。押しつけられた憲法であるが故に、「わたし達のものでない」と言い張る点である。加藤氏は、憲法をわたし達のものとするために選び直さなければならないと説く。一見正論に聞こえるのだが、加藤氏はこうも言っている。

憲法がわたし達の手で選ばれていることが、その内容に優先する。


一つの国民は、自分の決めたのではないよい憲法を持つより、やはりよくないものであれ、自分の決めた憲法を持つのが正しい。
(両方とも『可能性としての戦後以後』)

自分たちが決めた憲法なら内容は問わない、という主張である。
二つ目は、昭和天皇の戦争責任。加藤氏は『敗戦後論』で次のように述べている。

天皇の責任とは、臣民に対する責任であり、何より、その名のもとに死んだ自国の兵士たちに対する責任にほかならない。二千万のアジアの死者たちに対する責任はわたし達日本国民に帰するが、三百万人の自国の死者に対する責任の一半を天皇はやはり免れないのである。

二千万人のアジアの死者に対する天皇の責任が欠けている。
三つ目は、戦死者の哀悼をめぐる問題。これが最大の論点である。ちょいと長めに説明しよう。
加藤氏は、敗戦によって日本が「人格分裂」に陥ったと言う。「二千万のアジアの死者」への謝罪が必要だとする革新派と、日本の兵士の死者を靖国神社に「英霊」として祀る保守派の二つに分裂していると。革新派は「外向きの自己」であり、保守派は「内向きの自己」である。革新派が謝罪をしても*1、保守派が反動的な発言をする*2ことでその謝罪が無効になる。これを戦後日本は繰り返してきた。真に謝罪し戦争責任を引き受けるためには、まず人格分裂を克服しなくてはならない。統一された主体である「われわれ日本人」を回復しなくてはならない。そのためには、アジアの被害者に対する謝罪の前に、自国の死者を深く弔わなくてはならないと主張する。
高橋氏はこの問題に対し

  • 保守派の「失言」「妄言」が、革新派の謝罪に対する反動とは考えられない
  • 革新派が自国の死者を顧みなかったとは考えられない
  • 自国の死者を先に弔うことで、保守派の「失言」「妄言」が出なくなるとは思えない

と批判する。
また、自国の死者のみを哀悼することによって作られる国民主体は閉鎖的であり、結局は日本の戦争責任を曖昧にすることに繋がる、と批判している。

戦後責任論 (講談社学術文庫)

戦後責任論 (講談社学術文庫)

*1:「あの戦争は侵略戦争だった」とか

*2:南京大虐殺はでっち上げ」とか