チェルノブイリから19年

Land of the dead
1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起きた。
19年が経過し、ロシアのジャーナリストが事故についての本を出した。このガーディアンの記事は、その本の引用で構成されている。
事故直後、現場には様々な人が送り込まれた。火を消そうとした消防士。安全弁のボルトを開けに行った若者たち。死の灰を掃除しに行った34万人の軍人。上空から土嚢を落としたヘリコプター。「石棺」と呼ばれる覆いを作った労働者たち。
その後、彼らは放射能がもたらす病気に罹り、死んでいった。装備が不十分だったのである。
しかし、現場で作業した人々の努力がなければ、被害はもっと拡大していた。より巨大な爆発が起こっていたら、ヨーロッパの大部分は住めなくなっていたかもしれないのだ。
発電所の近くに住む人も、悲惨な目に遭った。当局による避難の指示が遅れた。"liquidator"(清掃人)と呼ばれる人々に家を埋められた。
12歳のVanya Kovarovちゃんの言葉を引用します。

When the girls in my class found out that I had cancer of the blood, they were afraid to sit next to me. They didn't want to touch me.

The doctors said that I got sick because my father worked at Chernobyl. And after that I was born. I love my father.

(クラスの女の子は、私が血液のガンだと分かって、私の隣に座るのを怖がる。
医者が言うには、父がチェルノブイリで働いてたから、私は病気になったらしい。私は父を愛している)