地下鉄サリン事件から10年

1995年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件があった。
あれから丸10年。早いものだ。
地下鉄サリン事件は、社会を大きく変えた。
これは私の印象に過ぎないが、あれ以来犯罪の質が変わった。
酒鬼薔薇事件や佐賀バスジャック事件、池田小事件など、動機に釈然としないものが残る、通り魔的凶悪殺人事件が増えた。
公共空間の安全性が、自明のものではなくなった。
見知らぬ他者に対する漠然とした信用の元に成り立っていた、公共空間の消滅。
それによる社会のぎすぎすした感じ。得体の知れない不安。
それらが招いた監視社会。
安全な経済大国という日本のイメージは、完全に姿を消した。
阪神大震災オウム事件の起きた95年は、時代の大きな節目だった。
ってのは、よく言われていることだ。
地下鉄サリン事件のあった95年、私は中学二年生だった。
私はこの事件に異様なまでに興味を持ち、テレビ、新聞、雑誌から情報を集めまくった。
ここらへんは、今と変わってないな…
とにかく中二にしては詳しすぎたので、「信者じゃないか」と気味悪がられ、「ジャーナリストにでもなれよ」と呆れられたものだ。


オウムに入信しテロに走った彼らを、「我々には理解できない。人種が違う」なんて思ったら大間違いだ。
彼我の差は紙一重である。
「麻原の教えは絶対に正しい。ハルマゲドンに備えて戦うのだ」と犯罪に走った彼らと、「上司の言うことには絶対服従だ」「先輩の命令には逆らえないよ、この部では」「上官の命令は絶対であり、敵を殺さなければ自分が死ぬ」は、同質のものだ。
自分がその境遇に置かれてしまったら、逆らえない類のものである。
逆らうことは、死を意味する(「あの世に行く」意味での死だけではなく、組織における事実上の「死刑宣告」をされるという意味も含めて)。
組織やシステムと個人との葛藤は、人生における重要なテーマになりうるが、皆さんはどんな風にそれを乗り越えているのだろうか。
「目的のためには手段を選ばない」「人命を奪う権利は誰にもない」「排斥より寛容」という私の価値観は、矛盾せずに機能するだろうか。


今度は、オウム関係の書物を集めますかね。
服従の心理』(ミルグラム)がここで必要になってくるのだが、絶版だしな…
『戦争における「人殺し」の心理学』(グロスマン)で代わりとするか。


『縮図・インコ道理教』が早く本になって欲しい。
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/shukuzu.htm