「小谷野敦氏の「辞職顛末」」より

http://d.hatena.ne.jp/sunchan2004/20050301
1999年に小谷野敦氏が阪大を辞職した経緯が、赤裸々に書かれている。
小谷野氏は現在東大の非常勤講師。
もてない男』や『文学界』に連載された「昭和恋愛思想史」*1など、小谷野氏の著作は面白く読ませてもらってきた。
詳細は上記のサイトを読んでもらうとして*2、小谷野氏が如何なる嫌がらせを受けたか、簡単に引用させてもらう。
まず、歓迎会の三次会でのエピソード。文中の「私」は小谷野氏。

一瞬だけWの爆発がやんだが、私が斎藤と話をしながら、煙草の火をつけると、再度罵声が飛んできた。なんだその態度は、あと一年で退官になる先生と話しながら煙草すぱーっなんて吹いやがって。さっきのスピーチはなんだよ長々と、教授会のはいいよ、けどその後だよ、よろしくお願いしますって言っときゃいいんだよ、おめえ自分が一番頭がいいと思ってんじゃねえの、馬鹿じゃねえの。まだ何もここのこと知らないんだろ、なんだよ分かってますって。だいたいねえ、初めて来た時ってのは、こんな、こんな(と体をすぼめて)小さくなって黙ってるもんなんだよ、何だよてめえは。
周囲は静まり返ったが、SYは、やめようよ、と言いながらげらげら笑っていた。P・HはWの後ろへ回って、肩を揉んで押し止めようとした。しかしWの罵倒、いな恫喝はやまなかった。私が煙草を吸ったことをさしてP・Hは、問題ない問題ない、と言ったが、うるせえ日本じゃ問題あんだよ、とWは言い返しながらも鉾先は飽くまで私なのだった。Wは私の本を罵り、僕、君の本なんかびりびりに破いて捨てちゃったもんね、高田衛も川村二郎も何も言わなかったでしょ。



次は、3年後のこと。

本棚から私の本が二冊とも消えていた。反射的に私は、ホワイトボードに張ってある私の新聞記事のコピーを見た。そこには二枚のコピーがあったが、いずれも赤いペンでいたずら書きがしてあった。「モテネー」「ホーケー」「ドーテー」「バーカ」といった幼稚なものだったが、私の心はざわついた。実は一月ほど前にも、私のコピーが別の人のコピーの下に隠されるような形になっていたことがあったが、今回のはもはや明らかな嫌がらせだった。資料室の奥まで入ってみた私は、私の本二冊が、叩きつけるか足で踏みつけるかしたらしい形跡を止めて散らばっているのを発見した。



次のが、ある会議でのこと。

するとWは、やるかバカ、俺なら、殺すわ! と叫んだのである。
Wの罵倒はさらに続いた。果ては私が以前神経症が悪化して授業を半分くらいで切り上げていた時のことを罵るというありさまで、議長や主任が終わらせようとしても止まらなかった。遂にM助教授が立ち上がり、Wさん、やめましょう、やめましょう、と大きな声で言ったので収まったが、私は逃げるように自宅へ帰った。



昨日の日記で「組織やシステムと個人との葛藤は、人生における重要なテーマになりうるが、皆さんはどんな風にそれを乗り越えているのだろうか」と書いたが、それに関連すると思ったので取り上げた。
これだけ赤裸々に綴ったことに驚いた。下手すると、人物が特定できてしまう。それだけに、簡単には拭い去れない深い「怨念」を感じる。
人の痛みが想像できない人物というのは、チラホラといるものですね。
私の友人は、仕事場の先輩方に毎日のように「死ね」と罵倒されて、かなり参っていた。
私の場合、幼い頃から「こんなこと言ったら相手を傷つけるかもしれない。どうしよう」と思って生きてきたので、人に「死ね」と言える感覚が分からない。
ちょっと調べてみたくなった。


引用長すぎたかな…

*1:『恋愛の昭和史』として単行本化

*2:引用だけでは心もとないので、できれば全文読んで下さい。