山形へ

昨晩はなかなかスリリングだった。
祖母は実在しない侵入者にぶつぶつ語りかけ、玄関に通じるドアをひもや棒でガチガチに固め、どこかに電話をかけようとしていた。
私は止めることなく、させるがままにした。
母や伯母がヒステリックになるのは、きっとこういう時だろう。
温厚、寛容、冷静、好奇心の塊である私は、布団の中からじっと祖母の様子を眺めていた。
祖母としては、侵入者から身を守るために当然のことをしているのだ。


みんな祖母を無闇に恐れ、偏見の目で見ている。相手のことが分からなかったら、もっと勉強しなくちゃ。寛容さが足りないよ。
それはあらゆる人間関係のみならず、国際関係にだって通じる「真理」だと思う。
3日間過ごしてみて、「読んでおけばよかった」と後悔する本がたくさんある。
フロイトユングラカン中井久夫モブ・ノリオ『介護入門』、深沢七郎楢山節考』、高齢者の妄想の症例などなど。


昼過ぎのバスで盛岡まで行き、新幹線で仙台に出る。仙台から仙山線に乗り、午後5時過ぎに山形駅に着いた。
山形初上陸。ここで大学時代の友人が働いていて、彼に会いに来たのだ。
仕事が終わるのが午後10時過ぎになるというので、暇つぶしに山形を観光することにした。
しかし、午後5時を過ぎても入場できる観光スポットなどない。
観光案内所で無理を承知で聞いてみたところ、「文翔館*1外観は見れます」と言われた。
「外観は見れる」って…そんな苦しい答えをするしかないほど、私のやろうとしてる事は常識外れらしい。でも、黙って5時間待つよりはマシだろうと思い散策することにした。*2
駅周辺は飲み屋も多く街並みも整備されていて、「山形ってけっこう賑わってるじゃん」と感じたが、暗くなるにつれ人通りも減っていった。山形にはスタイルが良く、洗練された女性が多かった。ちと意外…
「文翔館」は、「大正期のモダンな建築ね、オホホ」くらいの感慨しか覚えなかった。外観だけじゃね…
続いて「霞城公園」に行ってみた。私はこの公園を生涯忘れないだろう。
人がいない。暗い。広い。物音がしない。見るべきものがない*3。ここ数ヶ月間で、こんなに寂しいと思ったことはない。世界中の人が消えて、世界に自分一人だけ取り残されてしまった。そんな感じ。
カップルが色々とやるには最適だろうが、この寒さで誰もいねえ。
腹が立ったので、雪玉を作って馬に乗った最上義光像にぶつけてやろうかと思ったが、最上義光のせいではないので止めた。
午後10時、友人と合流した。大学5年間で、私が莫大な影響を受けた人物が3人いる。彼はその中の一人だ。彼なくして、今の私はいない。
居酒屋、カラオケ、友人宅で、大いに盛り上がった。現実離れした話が多く、ずっと笑いが耐えなかった。
翌朝9時のバスで私は帰るので、短い時間を精一杯楽しんだ。

*1:山形県庁で、現在は山形郷土館として利用されているルネサンス様式の建物

*2:普通は「巡回バス」を利用するらしいが、私はヒマなので歩いた

*3:城は「復原工事中」となっていたが、友人によると工事してるところを見たことがないそうだ