『赤軍―1969→2001』

本書は河出の文藝別冊シリーズの一冊で、重信房子逮捕から2ヵ月後の2001年1月に出版されたもの。2年ほど前に、河出書房新社から直接取り寄せたんだっけか。それだけ赤軍には関心を寄せていたのである。彼らを支持しているとかではなく、純粋に興味があった。とくに連合赤軍で起こった内ゲバに。彼らは「総括」と称して12人の仲間を殺したわけだが、その理由も凄い。…と、長々と書きたいところだが、本書のメインは日本赤軍であり、連合赤軍についてはほとんど触れていない。連合赤軍については、大塚英志やスタインホフの本を読んだ時にじっくり語ることにして、まずは赤軍の概略を説明しておこう。かなり簡単にね。
時代は学生運動・労働者運動の盛んだった1960〜70年代。共産党の方針に不満を持ったグループが、共産主義者同盟(ブント)として活動していた。ブントは直接行動を掲げて活動していたのだが、ゲバ棒(ただの角材)程度では機動隊にやられてしまう。そこで武装しなくてはと言うことになり、赤軍派が結成される。赤軍派の議長には「過渡期世界論」を持論とする塩見孝也が就任した。*1赤軍派には「前段階蜂起」という考え方があった。

F:いきなり革命はできないからまず少数でいいから警視庁とか国会とか銃と爆弾で占拠すれば大衆が必ず立ち上がると。
T:首相官邸を占拠するという計画を立てるんだけど、占拠したあとはどうするというのをあまり考えてなかったみたいなんだ(笑)。
(P.76)

前段階蜂起のために軍事訓練をしようとしたところ警察に察知され、大菩薩峠*2でメンバーが大量に検挙される。その後「国際根拠地論」という考え方に基づき、田宮高麿、小西隆裕、田中義三などのグループがよど号をハイジャックし北朝鮮へ向かう。「なぜ北朝鮮?」という疑問は、本書にも何度か出てくる。また重信房子、奥平剛士らはパレスチナへ向かい、「アラブ赤軍」(後に日本赤軍)と名乗る。
大菩薩峠での一斉検挙、よど号ハイジャック、アラブ赤軍などにより、残されたメンバーは指導者を欠いていた。そこで共産党革命左派と合流することになり、「連合赤軍」となる。連合赤軍は同志殺しの後にあさま山荘事件を起こし、壊滅する。ここらへんは、後日に詳しく。
連合赤軍の同志殺しにショックを受けた日本赤軍は、PFLPパレスチナ解放人民戦線)との提携のもと闘争を続けていった。主な事件を上げると

  • テルアビブ空港乱射事件(リッダ闘争)…奥平剛士・安田安之は死亡。岡本公三イスラエルの捕虜になる。2000年、岡本公三レバノンに亡命を認められる。
  • ドバイ事件…丸岡修とPFLPメンバーによるハイジャック。機体は乗客を解放したあと爆破した。
  • ハーグ事件…西川純・奥平純三・和光晴生の3人がハーグのフランス大使館を占拠。フランス当局に逮捕されていた山田義昭を奪還。
  • クアラルンプール事件…クアラルンプールのアメリカ領事館・スウェーデン大使館を占拠。日本政府は超法規的措置で5名を釈放。釈放されたのは日本赤軍の戸平和夫・西川純のほかに連合赤軍の坂東国男、東アジア反日武装戦線の佐々木規夫など。
  • ダッカ・ハイジャック事件…今度は6名を釈放。福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と述べた。

日本赤軍の驚くべき点は2つ。一つは、メンバー奪還闘争をやったこと。何と3度も奪還に成功している。「捕まっても助けてくれる」という信頼感は、戦う上でさぞ心強かっただろう。今なら「テロには屈せず」ということで、要求は受け入れられないだろうが…
もう一つは、アラブで英雄視されていること。その証拠が、岡本公三の亡命が認められたことらしい。日本赤軍パレスチナ側に立って、共にイスラエルと戦っていたということになっている。
おっと、軽くのつもりがかなり長くなってしまった。
本書はほとんど重信房子特集。前半には彼女の手記が6つ掲載されている。どの文章も文字が隙間なくびっしり並んでいて(=改行が少ないってこと)、読点の位置が微妙に変で、主部と述部が呼応してなくて。まあ、革命家に美文はいらないってか。そんな中、『わが愛わが革命』からの採録は比較的読みやすかった。と思ったら、これはゴーストライターが書いたらしい。どうりで…
『わが愛わが革命』にはベイルートに着いた時の興奮、連合赤軍のニュースを聞いたときの落胆、遠山美枝子との出会いなどが綴られている。遠山美枝子と重信房子は友達だったのか。遠山美枝子は連合赤軍内ゲバで殺された女性で、彼女に対する批判がきっかけで「総括」が起こってきたのである。この辺も後日、たっぷりと。重信は遠山との関係を以下のように書いている。

わたしたちは「ミエコ」「フー」と呼び合っていた。
一つ年下で、目元の涼しい美人であった。わたしたちはよく二人で「明大反民青の二美人ね」などどいって笑いあったものだった。
(P.20)

私が抱いていた重信房子のイメージと違う。普通の女の子じゃん。それは当然と言えば当然なのだけど、パレスチナに行って世界同時革命を志すような方だから、革命の鬼みたいな人かと思っていた。それはきっと、私の中で連合赤軍日本赤軍のイメージが重なっているのだろう。二つの赤軍は全く別物なのだ。
続いて、ミエコの印象。

かわいい子だった。
おとなしそうな子だった。
たしかに民青に入って、歌をうたったりダンスをしたりしている方が似合っているような人だった。それに、話しているうちに「暴力はいけないわ」などという子だった。そのころはちっとも戦闘的ではなかった。
(P.20)

可愛かったばかりに、永田洋子に睨まれたのかね。悲しいわね。
次は、重信がパレスチナに旅立つ前日の出来事。

「フー!」
わたしは、はっとふりかえった。
ミエコは、いつの間にか立ち上がっていた。
わたしは、そんなミエコをみつめた。
「フーの方が、先に死ぬんだねえ」
わたしは、何も答えなかった。
ミエコの目に、みるみる涙がうかんできた。
〜略〜
一年後、連合赤軍の中で、ミエコは、わたしより先に、死んだ……。
(P.21)

何度読み返しても、胸がいっぱいになるね。ミエコの悲劇的な最後を知っているだけにね。
ちょいと長くなってしまったので、重信房子についてやや強引なまとめを。
手記を6つ読んだ限りで、重信がなぜ革命に打ち込んだのかを以下のように推測した。

  • 革命や学生運動が当たり前という時代だった
  • 家が貧しかった
  • 父親によって叩き込まれた正義感があった
  • 革命に邁進している、最前線で戦っているという高揚感・充実感
  • パレスチナに渡って以降)帰る場所がなくなった

ちょいとありきたり過ぎるかな。まあ、いいや。

赤軍―1969→2001 (KAWADE夢ムック)

赤軍―1969→2001 (KAWADE夢ムック)

*1:塩見孝也氏のウェブサイトを見つけました。興味のある方は、検索してご覧になっては如何かな

*2:大菩薩峠』と言えば、中里介山の長編小説が有名ですな。赤軍とは全く関係ないけど…