今村仁司『マルクス入門』

筑摩書房の『マルクス・コレクション』全7巻刊行に合わせて出版された新書。今までのマルクス解釈を紹介すると言うより、新しい観点から見直している印象。ソ連の掲げた「マルクスレーニン主義」はマルクスの主張と異なっている、という基本的な立場は廣松氏と同じである。と言うより、それが常識なんでしょう。
今までのマルクス解釈は序章で紹介されている。今村氏はそこで従来のマルクス解釈を3つの型に分類している。一つ目が「経済中心史観」である。「社会内のあらゆる現象は、経済生活によって因果的に決定されている」という見方で、私が何度も言及している「下部構造が上部構造を規定する」というやつである。今村氏はこの解釈を「比喩はあくまで比喩であって、理論でも概念でもない」と批判している。
二つ目が「実践的主体論」。この解釈は、経済決定論に内在する矛盾を批判する文脈で登場した。経済決定論に内在する矛盾をまとめると、だいたい次のような感じになる。経済決定論の考え方に従えば全てが経済構造によって決定されてしまい、個人の意志や行動は不要になる。それにもかかわらず、社会義者たちは自分の行動によって革命を意志的に呼び起こそうとしている。これは矛盾していないか?というものである。この矛盾に対し、ローザ・ルクセンブルクが大衆の自発性を力説し、その思想をルカーチが哲学的に徹底させた。ルカーチが着目した物象化概念は、ベンヤミンアドルノ、マルクーゼなどのフランクフルト学派に受け継がれていった。また第二次大戦後のフランスでは、サルトルメルロ=ポンティ実存主義の立場から「アンガージュマン」を実践する。
三つ目が「構造論(関係論)」。この解釈は、前二つの解釈が同一平面に立っていると批判する。つまり、経済決定論は客観を重視し、主体性論は主観を重視しているわけだが、所詮両者は立つ地平を共有していて、他との関係を軽視している。

関係の束としての構造は、単独に実在する主観と客観がまずあって、しかるのちに「関係する」というようなものではない。事態はその反対であり、関係する行為の束が関係的構造を形成し、構造のなかで主観と客観が形成されるのである。
(P.43)

代表する思想家としてアルチュセールが挙げられていることから、この解釈は構造主義的なものと呼べるであろう。
これ以降が本書の本題であるのだが、全体を概観することはせずに、私が特に興味を持った箇所を二つ上げるだけにとどめる。一つ目は、マルクス古代ギリシアを精神的故郷とし憧れていた事実である。この頃のドイツの思想家の間で古代ギリシアが流行っていたらしく、マルクスもその影響を受けていたらしい。その証拠に彼の学位論文は『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』である。ゆえに彼が理想としていた共同体は、古代ギリシアのように労働から解放された共同体だったのである。
もう一つが、ヘーゲルの時間論との関わりである。この部分はかなり抽象的なので説明は省くが、アウフヘーベン止揚)の意味がやっと分かった。
入門書はこれくらいにして、次は『共産党宣言』を読む。

マルクス入門 (ちくま新書)

マルクス入門 (ちくま新書)