デカルト『方法序説』

「われ思う、ゆえにわれあり」で有名な著書。もともとは論文集の序文であるため、100ページほどの短い文章である。全体は6部に分かれていて、第1部は学問の考察、第2部は方法論の提示、第3部は道徳・生き方、第4部は形而上学、第5部は自然学、第6部が展望と言い訳。
第3部までは、読んでいてかなり興奮した。そこに綴られているデカルトの生き方、考え方に共感することが出来たからだ。第1部にはデカルトの半生が書かれている。それによると彼は、幼い頃からあらゆる書物を読破し、20代前半で文字による学問(人文学)を放棄する。その後「世界という大きな書物」から学ぶために旅をし、色々な人々と交わり、経験を積み、試練を課し、考察を加え、その経験を踏まえて再び炉部屋に閉じこもって思索に没頭した。私から見れば、理想的な人生である。第6部では盛んに、研究に没頭したいから邪魔しないで欲しいといったことが書かれている。
第2部で提示される彼の方法論は以下の4つ。

第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく即断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、わたしの判断のなかに含めないこと。(=明証)
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。(=総合)
第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純で最も認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。(=分析)
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること(=枚挙)
(P.28)

私自身、こういった思考法はある程度身に付いているはずだが、こうやってまとめていただけるとありがたい。
第4部でついに「われ思う、ゆえにわれあり」という命題が登場する。デカルトはこの真理を哲学の第一原理とする。なぜこの命題が真で確実なものであるのか。それは「わたしがきわめて明晰にわかっている」からである。そこから「わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である」*1という規則が導き出される。問題はここからだ。

われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真であるということ自体、次の理由によって初めて確実となるからである。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるものはすべて神に由来すること。その結果として、われわれの観念や概念は、明晰かつ判明であるすべてにおいて、真でしかありえないことになる。(P.54)

すべてを注意深く検討してきたデカルトが、神の存在だけ盲目的に受け入れているように感じられる。教会の弾圧が激しい時代だったから致し方ないかもしれないが、わたしは腑に落ちない。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

*1:P.48