浅田次郎講演会「小説家のこだわり」in Sophia

毎年母校の学園祭で行われる小説家の講演会、今年も行って参りました。HPによると浅田次郎を招くということだったので、期待に胸を膨らませて当日を迎えました。
会場に入って驚いたのが、その客の数。昨年の3倍はいたでしょうか。会場はそれほど広くないのですが、座席がすべて埋まっていました。私、立見と相成りました。場内を見渡すと、学園祭の割に客の年齢層は高めで、読者の方々が多く来ていたようです。
では、2時間にわたる講演の内容をまとめてみましょう。

  • 今の人は本を読まない

今の人は本を読まない、勉強しないと言われているが、自分は今の人を責めない。本を読む以外にやることがいっぱいあるから。昔は貧しくて、本を読んだり勉強したりするしかなかっただけだ。今の人が学問や知識を身につけようと思ったら、相当な覚悟を持たなければならない。相当ストイックでなければならない。

  • 手で書くこと

新人賞の選考などをしていると、「小説でも書いちゃいました」という感覚の小説が多い。それはパソコンの影響である。パソコンの登場によって、字を多く書く、という一番最初のハードルがなくなったのだ。また小説に難解な漢字が増えたり(「綺麗」なんて昔は漢字で書かなかった)、登場人物の名前が難しくなったり(たくさん書かねばならない主人公の名前を、「麗子」なんて複雑な漢字で表現しなかった)。
自分のこだわりは、手で書くことである。また小説家になる一番の早道は手で書くことである。
日本語の最も美しい形は、和歌や俳句だと思う。小さな表現で大きな世界を表すのが肝要。パソコンで書くと、頭の中に浮かんだものをどんどん書き込んでしまい、取捨選択が行われない。頭の中のイメージをデッサンしているだけの小説になる。それは映画の代用品であり、小説ではない。
老子は「天下に忌諱(きい)多くして、民いよいよ貧しく、民に利器多くして、国家ますます昏(くら)し」と言った。負荷があればあるほど力はつくのだから、これから小説を新人賞に応募する際は、1回手で書いて、それをパソコンで打ち直すのがいい(手書きだと余程きれいに書かないと、今は読んでもらえないかもしれないから)。

  • 小説家でご飯を食べる

小説家でご飯を食べている人は、せいぜい50人くらいである(医者でも20万人はいるのに)。新人賞は全国に200ほどあるから、新人賞をとった程度で会社を辞めたりしちゃだめ。直木賞組なら、吉川英治文学新人賞山本周五郎賞をとったくらいならOK。芥川賞組は、芥川賞をとっても辞めちゃダメ。

  • 純文学と大衆文学

純文学と大衆文学の区分けは、ナンセンスである。世界的に見て、こんな区分けをしている国はない。商業的な理由で始まったこの区分けは、読者にとっても良くない。自分が読みたいものと違う、と片側の作品しか手に取らないから。
山本周五郎直木賞候補になった際、この区分けがナンセンスという理由で候補になるのを辞退している。

  • いい小説の特徴

出だしがいい小説はいっぱいある。出だしは気合が入ってるから、良くて当然。本当にいい小説は尻上がりに良くなる。谷崎潤一郎なんかがいい例。

  • 読書時間をひねり出す

みんな、本を読むのが遅い。1日1冊読まなきゃ嘘。1日4時間読書の時間を作り、1冊読みなさい。時間がなければ作りなさい。メールなんて役に立たない、時間の浪費。パチンコもテレビも排除。お勧めは早寝早起き。


と、非常に中身の濃い2時間でした。サインが欲しかったんだけど、「混乱が予想される」との理由で貰えず。
「プリズンホテルは面白いですから、ぜひ買って読んでください」とのことでしたので、早速帰りに購入。
プリズンホテル 1 夏 (集英社文庫)プリズンホテル 2 秋 (集英社文庫)批評のジェノサイズ―サブカルチャー最終審判
『プリズンホテル 1 夏』(浅田次郎)
『プリズンホテル 2 秋』(浅田次郎)
『批評のジェノサイズ―サブカルチャー最終審判』(宇野常寛更科修一郎)