蒼井優/アイビー・チェン『蒼井優 PHOTO BOOK 回転テーブルはむつかしい。』

蒼井優はなぜ私の心をこんなにも惹き付けるのか」…
これは近頃の私の現実逃避の肴である。この蒼井優問題、じつはかなり奥が深い。なぜなら蒼井優は「誰が見ても美人」というタイプの美人ではなく、現に私の友人たちも「○ちゃん、俺は蒼井優こない」「○太郎、俺は蒼井優のどこがいいか分からない」と私の過剰な思い入れに対して苦情申し立てを寄せてきているからである。
蒼井優に敏感な皆さんはお気づきかと思うが、この数ヶ月で私が見たDVDはほとんどが蒼井優出演作である。一緒に仕事をしているデザイナー(50代後半)が、「蒼井優いいよね」と貸してくれるのだ。今はWOWOWの「蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ」を心待ちにしている状況だ。
こうして蒼井優作品に数多く触れてきた私に対し、「蒼井優のどこがいいのか?」と質問を寄せる人もいる。そのたびに私は「オーラが、オーラが」と美輪明宏の如く答えているのだが、この回答は自分でも「ちょっと違う気がする」と違和を覚える。
「オーラ」とはもともとギリシア語の「アウラ(aura)」に由来する言葉である。アウラと言えばベンヤミン、と言うわけで蒼井優問題は「趣味・嗜好」の問題から一気に「美学」の問題へと飛躍する。それはAmazonで一緒に注文した本が『芸術新潮』のビーナス特集であったことからも分かっていただけると思う。絵画のビーナスは一般的な美人とはちょっと違う、でも鑑賞者の心を惹き付ける強い何かがある。一緒っしょ?
さて、この『回転テーブルはむつかしい。』だが、私が初めて買った女性の写真集である。蒼井優問題を紐解くヒントがここにあると期待して。
結論から申し上げれば、この写真集に私の期待する蒼井優の姿は少なかった。そのことが逆説的に蒼井優問題解決のヒントを提供してくれた。
写真集のコンセプトは、蒼井優にとっての「台湾の姉」とも言うべきアイビー・チェンが、台湾で大好物のカキ氷をほお張る蒼井優の楽しそうな姿を撮った写真たち、ということになろうか。ポイントは「楽しそうな姿」である。実際に蒼井優は巻末で「こんなに楽しい仕事があっていいのだろうか」的な感想を寄せている。この楽しそうな姿、口角の上がった笑顔に、どうも「魅力2割減」を感じてしまう。では、「少なかった」蒼井優の120%魅力的な姿はどんな写真か?それは、目尻が少し下がり、口角の上がっていない不安げな表情である。そう、不安げな表情、言い換えれば哀愁の漂う表情にこそ蒼井優の真価が凝縮されているのである。
女優・蒼井優を形作ったのは言うまでもなく岩井俊二だ。『リリイ・シュシュのすべて』では援助交際を強制され、最後に自殺するヒロインを演じている。『花とアリス』では親友との三角関係を時にはコミカル、時には哀愁漂わせて演じ、最後はバレエを踊る。自身を「個性がないのが個性」と評する蒼井優だが、「コミカル」「哀愁」「踊り」の3要素が蒼井優の魅力になっていることは、後の出演作を見れば明らかだ。極端な言い方をすれば岩井俊二監督作品以外でも、岩井俊二の「残滓」を感じる(3要素がまったく入ってなかった『鉄人28号』は、蒼井優の魅力が出ていないどころか蒼井優である必然性がまったくなかった)。
蒼井優を通して、岩井俊二の演出に、岩井俊二の世界に惚れ込んでいる可能性が高くなってきた。確かに広末を起用した「ライフカード」のCMも、私の心に強く刻み込まれている。絵画において、「モデルの美しさ」よりも「モデルを美しく描く画家の腕」にほれ込む感覚か。
では、スエヒロ(野坂先生は広末をこう呼んだ)と蒼井の違いは何か。広末は自分を見失ってしまった。蒼井優は、映画・ドラマ・CM・PVに出るたびに、岩井俊二の世界を律儀に再現してくれる。『害虫』では三角関係に陥りつつも友人を気遣い、『ニライカナイからの手紙』では不安げな表情を見せ、『亀は意外と速く泳ぐ』ではコミカルな役どころを演じ、『フラガール』では踊り、ドコモのCMでは透明感溢れる「デザインかな?」。
結論めいたものが出たようだ。ただ、これも現実逃避の末の勝手な独り言として、読まれた方には目をつぶって頂きたい。