赤瀬川原平『千利休―無言の前衛』

映画「利休」の脚本執筆を依頼された赤瀬川原平氏。お茶にも歴史にも全く興味を持ってこなかった彼は、執筆のための文献調査・現地取材の過程で千利休に対する理解を深めていく。本書は、著者が脚本執筆前後に千利休と利休の芸術性をどのように感じたかを書き綴ったエッセイである。
あとがきに「この本は資料としては何の価値もない」と書かれている。そこまで大袈裟に言うほどでもないが、確かに資料としての価値は乏しい。利休を通して自らの芸術論を語っている、といった印象が強い。序盤には前衛芸術、路上観察トマソン物件などの概略が説明されていて、私はお茶についてよりそれらの概念についての方が参考になった。
巻末の参考文献を見る限り、赤瀬川氏は岡倉天心の『茶の本』を読んでいないようだ。にもかかわらず、本書と『茶の本』は似ている。似ているからこそ、本書を読んでいて新鮮味が乏しかったのだと思う。細部までそっくりと言うわけではない。本書には禅も道教も西洋の無理解も出てこない。でも、お茶を通じて芸術を語るスタイル、利休の切腹前の描写、言葉の無力さを強調するあたりなど、何となく似ている部分が多い。同じテーマで書いているんだから当然なのかもしれないが、「芸術家がお茶を語るとこうなるのか」と感じたわけで。
さて、この流れは落語につなげようかな、それとも路上観察につなげようかな。

千利休―無言の前衛 (岩波新書)

千利休―無言の前衛 (岩波新書)