独裁時代の清算に歩み出したチリ

独裁時代の清算に歩み出したチリ
ル・モンドの記事。今回はチリの拷問の話です。
2004年11月に陸軍司令官のチェイレ将軍が、ピノチェト独裁政権時代に行われた拷問・失踪・暗殺に対し、チリ国軍の組織としての責任を認めた。
また政府の調査結果が公開され、1973年から90年にかけて、3000件の暗殺・失踪と3万5000件の拷問の存在が明らかになった。
ピノチェトは、社会主義政権であったアジェンデ政権をクーデターによって倒し、軍事政権の独裁者として16年間君臨し続けた。クーデターにはアメリカの後押しがあった。冷戦真っ只中でしたからね。
拷問の様子と言うのは、何度読んでもおぞましい。

服を脱がされ、日に何時間も裸で、目隠しをされて、一群の見知らぬ者たちの前で、襲われ、罵倒され、滅多打ちにされ、睾丸に電気ショックを加えられるという辱めを受ける。

体制側の新聞記者が、ピノチェト時代の自分達の姿勢を反省している。これが胸を打つ。ちょいと長めに引用する。

私は単純なことを夢みていた。愛情、少しばかりの官能、小さな家、息子のための良い中学校といったようなことだ。私の喜びは、良い文章を書き、知的な質問をして取材相手を困惑させることだ。DINA(チリ情報局)の拷問施設に関するルポを書こうだなんて、エル・メルクリオ(彼女の勤める新聞社)の誰が思いついただろうか。いいえ、誰も、私でさえも思いつかなかった。私は誰を非難することもできない。私はこれまで記事の検閲を受けたことがない。私はひどい人間だった。こうしている間に、拷問者たちに動物、ビン、電流、拳を性器に押し込まれたチリ人女性たちがいた。彼らは彼女たちの子供や親を殺した。その同じ時間に、私はというと、息子に物語を読み聞かせ、恋人がいて、ジャーナリスト仲間と一緒に浜辺に繰り出していた。すべての人に許しを請いたい。

おそらく、体制側に積極的に加担していたわけではないのだろう。ただ、その体制を批判する記事を書かなかった。書こうともしなかった。誰かが拷問を受けている時に、自分たちはささやかな幸せを享受していた。このことに、心から反省の念を抱いている様子が伝わってくる。
しかし、ささやかな幸せを犠牲にしてまで闘える人は、多くない…