姜尚中『在日』

在日

在日

姜尚中氏は最も注目している知識人の一人である。
姜氏の主張は一貫していてぶれることがない。「多国間の枠組みで」というフレーズが頻発する姜氏の主張は、とても理想的なものである。「現実的でない」と批判されることもあるが、自分たちが望む世界をビジョンとして提示することは重要である。
その姜氏の自伝を読んだ。
あの静謐な声で話しかけるような文体である。姜氏の声は頭にインプットされているので、読んでいるとまるで姜氏に話しかけられているような錯覚に陥った。
姜氏は幼い頃から「なぜ自分は在日に生まれたのか」、「そもそも在日とは何か」と自問し続けてきた。日本人ではないという疎外感や、「祖国」と「故郷」が一致しない分裂状態によって、確固たるアイデンティティを築けなかった。それが心に暗い影を落としていた。
その姜氏に転機が二度訪れる。一つ目は、ソウルで夕焼けを見たこと。この時に日本名「永野鉄男」を捨て、大学で政治運動に関わる決心をした。
二つ目は、留学先のドイツである友人と出会ったこと。この友人はギリシアからの移民で、彼もドイツにおいては「ディアスポラ的な少数者」であった。
姜氏は「東北アジア」という枠組みに可能性を見出している。EUのような共同体が、東北アジアにも作れるはずだ、と。そのために、中国東北部沿海州にも散らばっている「コリアン系マイノリティ」が活躍できるはずだ、と。
姜氏はエドワード・W・サイードから大きな影響を受けている。パレスチナ人でありアメリカで活躍していた評論家のサイードは、姜氏と同じように「インサイダーであると同時にアウトサイダー」であった。そう言えば、『知識人とは何か』に次のような一節がある。
「インサイダーは特殊な利害に奉仕する。だが知識人は、国粋的国民主義に対して、同乗組合的集団思考に対して、階級意識に対して、白人・男性優位主義に対して、異議申し立てをする者となるべきである。
普遍性の意識とは、リスクを背負うことを意味する。私たちの文化的背景、わたしたちの用いる言語、わたしたちの国籍は、他者の現実から、わたしたちを保護してくれるだけに、ぬるま湯的な安心感にひたらせてくれるのだが、そのようなぬるま湯から脱するには、普遍性に依拠すると言うリスクを背負わねばならない」
姜氏は生まれながらに「ぬるま湯」から脱していた。日本にも韓国にも帰属できない「在日」という境遇。「朝まで生テレビ」において、姜氏の発言が最も説得力を持っているのは、生き方に根付いた主張だからであった。